こんにちは。leftです。
今回は特にスプラトゥーンの話はありません。私の好きな作品である「輪るピングドラム」の劇場版を見たので、これをただオススメする記事です。
かなり好き嫌いが分かれる作品です。抽象的な表現や複雑な場面展開などを含みます。謎が謎のまま進行することに耐えられない人には向かないと思います。
それでは、以下おすすめ文をお届けします。
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。」
輪るピンググラムの代表的なフレーズです。
このテレビアニメが放映されたのは2011年。平成23年です。未だ昭和の残り香のある時代でした。この頃はまだ男女分業の意識も強く、例えば男性は仕事に行き、女性は専業主婦。もし母親が仕事に出ようものなら、「保育園に入れるなんてかわいそう」。そのような価値観が残る時代でした。
一方で、1990年代初頭まで続いたバブルの影響で、好景気の記憶がある社会でもありました。真面目にやれば裕福になれるはずだ。社会は良くなるはずだ。過去の記憶から、そのように社会が進んでいた感覚があります。その時代を生きた若者たちは、きっと何者かになれるだろう。このままやっていれば。という未来への希望を根拠もなく持っていた時代でもありました。
そのような若者に対して、このキャッチフレーズ。「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」。未来への希望を持っていた一方で、それが根拠を持たないことにうっすら気づいている世代でもありました。その世代の私に対して、これは効きました。「お前は何者かになれる器なのか?本当に?」そう問われたように感じたのを覚えています。そして、同時に自分はそのような人物ではないと感じました。
一方で、劇場版では「きっと何者かになれるお前たちに告げる」。このフレーズを変えてくるのかと、最初は驚きました。
しかし、直近約10年間は、これまでなかったような災害や戦争が起きたり、日本国内でも政治に対する不信感や閉塞感が高まった時代でした。若い世代を中心に、社会や自分に対する諦観が広まっている時代であると感じています。自分の可能性を正しく見積もることは非常に重要である一方、未来への希望を奪ってしまうことにもなります。
そんなこの時代に出してきたこのフレーズ。「きっと何者かになれるお前たちに告げる」。
お前が選んでこの結果を得たのだ。お前は本当に何者でもないのか?劇場版では、主人公が選んで勝ち取ったものがより明確に描かれます。その答えはぜひ、視聴して知ってもらいたいと思います。
根拠のない未来への希望に釘を刺した10年前、そして根拠のない希望を示した10年後の劇場版。
10年前の風潮を知っていた人は思い出しながら、そうでない人も学生時代を思い出しながら、よければ見てみてください。私は何だかとても救われた気持ちになりました。
読んで頂きありがとうございました。
注: 95年にあった実際の事件を示唆する描写が含まれます。心的外傷等をお持ちの方は、注意して視聴してください。
※TVシリーズ→劇場版の視聴順がオススメです。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B078K5QFY2/ref=atv_dp_share_cu_r
https://www.ulatus.jp/academy/the-late-stage-or-lock-down-loopy-la-las/